2015年7月後半のできごと – 仕立て屋のサーカス, ARAKI Shin, 月夜と少年, haruka nakamura PIANO ENSEMBLE

updated : 2015.07.25

 私の2015年7月後半は色とりどりだった。タイトルの4者を約2週間の短期間にあちこちで体感することができて、とてもよい刺激になったので、敢えてまとめて記す。


 ・・・7/11(土)「仕立て屋のサーカス」京都公演。今の私にとっての、「仕立て屋のサーカス」の存在は大変重要で、人としての素直な喜怒哀楽を体現していて、内省することのできる、数少ない表現者たちの塊、だと思う。布を操り戯れるスズキタカユキさん・cinema dub monksの曽我大穂さん&ガンジーさん・照明(見えるとこ・見えないとこの全部)の渡辺敬之。見るのは3度目だったが、見るたびに、人らしい揺らぎが垣間見られ、とにかく夢中な様子を目の当たりにして、強く感動する。刹那ではあるが、それぞれの多大な時間と労力・アイデア、生まれては消えていくものと残っていくものとが同居し、せめぎあう。だから、体感する人それぞれの中に、見えないものが浮かび上がり、旅をしているような気分になったり、風が吹いているように感じたりするのだと思う。集中と緩和。光と影。相反するものの存在を、できるだけ等しく広く感じ取ることの素晴らしさを確かめられる、希有な存在。

IMG_2954


 ・・・翌7/12(日)ARAKI Shinさんの新作「PRAYER」記念公演で歌を歌わせていただくため、三重県松阪市・レストランカルティベイトへ。京都から片道2時間半ほどの日帰り旅道中、とっても良い。近鉄特急は、乗ればのんびりで、緑の山々・田畑・渓谷を、トコントコン、と心臓のようなテンポで進む列車。その心地よいテンポをたずさえてたどり着く、カルティベイトの周辺は、畑だけでなく、「野原」で、夏を迎えたばかりの野は、虫たちの歌で割れんばかりの大喝采。薄曇りの雲に見え隠れする太陽と、湿気を帯び始めた夏の空気に、瞬間、身を委ねる。荒木さんとのおだやか且つ集中したリハーサルの時を経て、ある程度の緊張感をもって、夕暮れのころ、河合悠さんの蝋燭は灯りはじめる。集まって下さったみなさまを出迎える、終わりかけの梅雨の「雨」にまつわる、楽しい雨粒を思わせるお料理の数々。・・悠さんの蝋燭を持たせて頂き、移動する歌とオルガンで始まる演奏。荒木さんの、動じない悠々としたピアノやサックスの音色に泳ぐように、歌声で、時折、オルガンやピアノで、強く弱くなじみ、寄り添う。始終、夜に尚も鳴き止まぬ夏の虫達の声との距離を感じながら。その場に在る様々なもののコントラストの中での、その時の自分でしかなく、佇ませてもらえることへの感謝。すべてのささやかな気配に気づくことの大切さ。


 ・・・7/18(土)月夜と少年主催「Indefinable Cities – まだ見ぬ都市から」展のひとつ、アトリエ三月へ。日英共同開催の企画で、イギリスはストーク・オン・トレントという街の、AirSpace Gallery でディレクターを務める写真家のグレン・ストーカーさんによる作品解説をはじめ、自然と集まった様々な作家さんたちとともに、ディスカッションというか、カンバセーション。なぜ作品は存在するのか。見る人が芸術に興味があろうがなかろうが、「何かを思う」ということがとても重要だ、という話し合い。私の好きな表現に宿るものの共通点として、「五感と感情をほぐす」という要素がある。五感と感情に素直に向き合えるものに出会えた時、とてもいきいきして、喜びを感じる。個々に程度の違いはあって当然だけど、わずかでも、「感覚や感情の変化が生まれる」、それに向き合う「時」の存在が、とても大切だと思うのだ。私の表現も、そうでありたいと、常々思う。その根底を、グレンさんというイギリスのアーティストと共感でき、確認できたのは、とても嬉しかった。なにか、こころが拡張した感じだった。・・写真は、自然に偶然に、似たような服装で寄り集まってしまった作家、左から西絢香・西森千明・坂本ミンで、レベッカ・チェズニーさんのフィールドレコーディングを楽しむの図。楽しみ方は色々。聴くだけではもったいない。ということかもしれない。


 ・・・7/20(月)海の日は、名古屋へ。目的は、一部公演に歌で参加している、haruka nakamura PIANO ENSEMBLEの公演を、客観的に聴くため。せっかくなので、その前に、名古屋で行ってみたい場所へ、と猛暑の中、見知らぬ街へ。・・薬草labo.棘。そこは、住まいと緑と人とが自然に溶け合う、風通しのよい、素晴らしい場所だった。お庭の緑が映り込むピアノがあり、試弾し、歌わせていただく。そんな傍らで、お庭では、お子さんと奥さんが、ハーブを摘んで下さる。帽子作家の谷和彦さんの展示もされている。共通の友達の話、好きな音楽の話、ハーブの話、など。そして、秋の頃、改めて演奏会をさせて頂くことに。詳しくはまた追って。ご縁に感謝。・・摘んで頂いたミントやローズマリーをもりもり食べて、バテそうだった体をシャキッと元気にして頂いた。そうして、haruka氏の公演へ向かう。遅れそうになって少し小走りしていたその時、開演15分ほど前だろうか。haruka氏より、最後に1曲歌っちゃう?とのメールあり。・・思わず天を仰ぐ。いくつかの思いが瞬時交錯するが、前進あるのみ。・・そうして助走をつけてザブーンっと、会場に潜る感じだった。波の音にひたされた会場でしばし浮かび深呼吸、拠り所を探りながら、みんなの音を色々聴き分けてみる。突然歌うことに対して感じた一瞬の抵抗は、この場にひたれるかわからない不安があったからだけど、演奏が始まると、彼らなりの熱が湧き出す瞬間がたくさんあって、うまくその波に乗れた感じがしたから、大丈夫だと思えた。それを体感しに来たんだった、と思った。・・私はよく、歌だけ歌う時、空間を歩きながら歌う。今回もそうだった。それは、音は四方八方に存在していて、前方から耳だけで感じるものではない、と思っているから。ゆったりと漂う、「永遠」という曲。日々感じていることの延長線上に、今日があり、今ここでみんなと一緒に出来ることをやる。そういうことだった。・・次に参加するのは、12月23日の岡山公演と、12月25日の京都公演。歌は、森ゆにさんと、cantusの太田美帆さんと、一緒に歌う。大好きな方達と歌える、なんたる光栄。とても、とても、楽しみ。