- whole story -

「かけがえのない」についてのお話

西森千明によるコラム。3rd work「かけがえのない」を収録した南山城村・旧田山小学校との出会いや音作りの姿勢など、今作の豊かな音風景が生まれた背景を綴りました。

- message-

「かけがえのない」リリースに寄せてメッセージをいただきました。

音つくりの現場から 〜リミックス・マスタリングを終えて〜

エンジニアとして携わる場合、最も大切にしていることは その音楽にあった音をどう捕らえどう形にするかということです。そのために作品に対しての思いやイメージは出来る限り共有したいと思いますし、録音する場所というのもとても大切な要素だと思っています。

今回は田舎の山間にある木造校舎の廃校というとてもキャラクターが強く、一般的に録音をするには適していない場所です。 でもその場所の響き、建物が吸い込んだたくさんの記憶、あちこちから聴こえてくるさまざまな音、それら全てが今回の作品にとって歌や言葉ピアノと同じぐら い大切な要素であり、相互に関係影響しあうものでした。

そのため録音ではそれらを出来る限り捉えるためにイメージに合う音を探りながら、歌とピアノのオンマイク、教室内のオフマイク、近く の廊下、遠くの廊下、と数カ所にマイクを設置しました。

ミックスでそれらの複数のマイクの組み合わせを試した結果、最終的にはピアノのオンマイクは使用しませんでしたが、どれかが突出するわけではなく全ての音がなるべく自然に響き合うよう心がけてミックスをしました。

是非身を委ねるように聴いてみてください。きっと音のその先に あるものを感じてもらえると思います。

田辺 玄 / WATER WATER CAMEL guitar, sound effect, composition, arrangement, rec & mix engineer

国立音楽大学音楽デザイン学科で音との色々な向き合い方を学ぶ。

全国各地を飛び回りながら、カフェやギャラリー、お寺や廃校、植物園やプラネタリウムなど、多様なスペースで音を響かせている。

またレコーディングエンジニアやCM、WEB、展示空間、プラネタリウム番組のサウンドデザイナ−としても多数の制作に携わり、音を媒体にさまざまな人や場とのコラボレーションを展開している。

音楽が聴こえる時

音とは空気の震えだ。発音体が何かしらの動きと共に、空気に規則的、或いは不規則的な波を与える。発音体の動きの大きさ、質、様々な条件によって、空気の 波もまた、大きさや形を変化させる。空気の波は、人の鼓膜を振動させ、聴覚神経を通り大脳に伝わり音として認識される。

発音体の動きも、空気の震えもやがて止まれば、音は消えていく。例えば、マジシャンが空中から白い鳩を取り出す様には、音を取り出して皆の目の前に見せて やる事は出来ない。音は消えていくのだ。

不思議なのは音楽だ。音とは本来どうしようもなく消えていくものだとしても、それらの音一つ一つを記憶の中で結び付ける事が出来る。たった一つの音が二つ になり三つになり、旋律や和音となって重ねられ、そうして紡がれたものは、確かな感触を持って音楽としてこの世に定着する。音楽とは、聴く人たった一人の 記憶の中で構築され再生される、儚く美しい芸術だ。

西森千明が紡いだ「かけがえのない」という作品。全編に渡って、ほとんど本人が演奏するピアノと歌だけという、実にシンプルな作りのアルバムだ。派手なア レンジも、豪華なプロダクションも無い。

しかし、京都の田舎にある、廃校となった小学校の教室で録音されたという、この作品には、その場所の空気の震えが、とても豊かに収められている。かつてそ の場所で過ごした子供達の声、幾度と無く歌われた校歌までも、校舎の建物に深く刻まれていたのではないか。彼女がただ一人鳴らした音は、その場所の記憶ま でも呼び覚まし、とても壮大な合唱曲の様に響いている。

僕は今、学生時代の仄かな記憶と共にこのアルバムを再生している。少し胸を焦がしながら。

吉田 航 / 月夜と少年

「月夜と少年」という芸術系の企画室を運営。日常の生活で掌からこぼれ落ちてしまったもの、忘れ去られてしまったもの、そんな物に再度柔らかな光を当て、豊かに生きる為の知と美の再発見を提案している。

いつか時が過ぎて

いつか時が過ぎて
今とは違う日々が待っていても
なにもこわくない

このうたがあるから

どんなに厳しい冬にも
春の木漏れ日のような
変わらない美しさをたずさえた
このうたたちが

haruka nakamura
composer